5月7日、E-メールで、旧友からマヨン火山噴火の一報が入った。しかし、我が家の誰に聞いても何も知らない。さらに、妻や友人から電話やE-メールの問い合わせが相次いだ。死者も出て、周辺の住民は避難を始めているというので、農場は無事かと心配していた。しかしながら、マヨン火山の麓の農場から遊びに来ているマミーや子供達をはじめ、誰もが話題にすることがなかった。
ようやく、翌日のマニラ新聞で、噴火の全容を知ることができた。確かにいつもに比べて大きな噴煙はあったものの、噴火と呼べるほどのものではなく、マグマの噴出もなく、警戒レベルは「0」のままということだった。死者は登山中のドイツ人等で、火口付近を登山中に振動で渓谷に落下して死亡したもの。たしかに我が家で話題にするほどのこともない日常茶飯事の噴火だったのだ。
最近日本では富士山の噴火が話題となり、地震や噴火のニュースに敏感になっているので、メディアも大きく取り上げたことが、原因のようだ。確かに、マヨン火山は、活発に噴火を繰り返す活火山で、下の写真2枚は、2006年8月に飛行機から撮影したもの。巨大な噴煙と溶岩が流れ出ている様子が見て取れる。
さらに、2009年12月末、噴火警報「3」が発令され、大噴火の予想ないし期待が高まった。夜の空にはマヨンの噴火口が赤く染まり、煮え立つマグマを農場からも垣間見ることができた。
農場とマヨン火山を挟んで反対側にあるレガスピ市の展望台(ラニョンヒル)にはテレビの取材陣が24時間待機し、噴火の瞬間を待ち続けた。このとき、レガスピ市のホテルは、世紀の噴火の瞬間を見物しようとする外国人でどこも超満員だったそうだ。
ラニョンヒル展望台からは、溶岩の流れ出す様子が目の当たりに見えて、裾野の木々が燃えて煙を上げていた。
年が明けて正月、マヨンの噴火警報は「1」に下げられ、山から農場の近くの小学校に避難していた人々が、山に戻って行った。これで噴火騒動も一件落着、外国人にとっては徒労な旅となった。
2007年12月、韓国KBSの取材陣とともに農場を訪問したおり、帰りの飛行機からマヨン火山の噴火口を間近に望むことができた。見ての通り火口はレガスピ市側を向いており、反対の農場のある方向に溶岩が流れ出すことはない。そして火口からはいくつもの溶岩の流れが観測され、その活動の活発さを物語っている。
この斜面に不安定に堆積している溶岩が、大雨で一気に麓に流れ大きな災害を引き起こしたのが、2006年12月の超大型台風レミンだった。写真は土石流に埋もれた家から生き埋めになった人を助けようとしている現場を見学する人々だ。
一方、マヨン火山の北に位置する農場から眺めたマヨンは、噴煙はたなびいているものの、斜面は木々で覆われ、長いこと溶岩の流れがなかったことが見て取れる。レガスピ側からの猛々しい姿に比べて、女性的な姿といえる。もともとマヨンとは女性の名前にちなんでつけられた名前だそうだ。
怖いのは噴火の時の火山灰ではなくて、あとから台風による大雨の影響で発生する土石流だ。農場付近の地元の人々も生れてこの方、この付近はマヨンの被害にあったことはないそうで、相当な噴火のない限り、農場は安泰といえるだろう。だから、私の生きている限りは大丈夫だろうと勝手に思いこんでいる。
2013年3月、ホリーウイークの帰郷の際に農場から撮影したマヨン火山。マヨン火山の絶景は農場にとって不可欠な風景となっている。